接待の忙しいマルタ、みことばに聞き入るマリヤ。好対照の姉妹たち、私たちの生活でもよくありそうな情景ではないだろうか。日本人的常識では、姉が忙(せわ)しなく働いていれば、妹は当然お手伝いする。イスラエルでも気持ちは同じだろう。マルタが主イエスに向かって、妹に対する不満を訴える。(直接言えば良いのに、主イエスを煩わせる) だが、この際、主イエスは兎角(とかく)私たちならそうしやすい、その場の取り繕いをしない。むしろ一見冷淡であるかのように、マルタをこそ窘(たしな)めておられるのだ。マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています、と。そしてマリヤがみことばに聞き入る姿をよしとされた。 主イエスは、接待の奉仕がより劣ると言ってるのではない。みことばに聞くことは尊いが、誤解しないように。この日、主イエスは特別な思いで姉妹の家を訪れたのだ。大切なミッション、メッセージを語るために。それは、この時、他の何を差し置いても聞くべきことだったようだ。それを妨げてはいけない!
祈りの時、礼拝の時、それが日常茶飯事より別格だということでない。だが、主の言葉を聞く、という大事に他者が割り込むことは厳に戒められねばならない。主との交わりという、聖なる空間、時間、それがしっかり確立してこそ、日常の諸々の奉仕が生きてくる。マルタはこのとき心を乱していたから、いっそう注意せねばならなかった。
