今月5回の礼拝を通して、受難週の学びをいたします。今日の箇所は、主イエスにとって最後の過越、それがまたキリスト信徒にとって最初の聖餐になるという、画期的な夜の出来事です。過越は旧約時代のイスラエルにとって、子羊の血による救いとエジプトからの脱出を記念する、最大の祭りでした。それはモーセの時から現在に至るまで厳粛に守られている行事であります。これをキリストはこの夜、弟子たちとの最後の晩餐において、さらりとパンと杯に変えてしまわれた。(その本質はいささかも変えないで) 新約時代の聖礼典としての聖餐と洗礼、私たちは今、ごく何気なく受け止めてるが、これたいへんな変化、革命的なことでありました。 洗礼でなく、割礼にこだわるユダヤ人の習慣を聖書の中に見出すことができます。 キリストを受け入れないユダヤ人が今も過越の祭りを極々大切にしてることもそれを裏書きしています。 ただ、ユダヤ人キリストの信徒たちは、喜びのあまりこの新しくされた聖餐を、パン裂き、と呼んで年に一回でなく、月に一回でもなく、集まるごとに励行していたのです、救いの喜びのゆえに。(使徒の働き2章42節参照)主イエスキリストは旧約聖書に逆らったのでない。 過越の意味を深めながら簡略にして、教会の遺産、礼典として残されました。 集うごとに、主イエスの血の贖いと、世俗からの脱出を記念する、初々しい信仰を私たちも確認していこう。
