今日のテキストの内容は、文字通り、使徒信条の唱える、”死にて、葬られ” の箇所である。先週の終わりの43節では、悔い改めた強盗への、主イエスの約束の言葉、パラダイス一番乗り、があり、今日の箇所でも百人隊長の、この方はまことに正しい人であった、と言う見事な告白がある。葬りに際しては、勇気を振るって遺体の引き取りを願い出たヨセフという議員が登場する。それぞれにいい証しである。 それゆえに、十字架の恐ろしさ、残虐さ、主イエスの死の悲しみは、ルカの福音書を一読したくらいでは、わたしたちには伝わってこない。 私たちが今や知っている24章の復活の出来事は、まだ当時の十字架目撃者には知られてないし、期待もされていないのだ。肝心の12弟子でさえまだ不信仰にも、復活を期待すらしてないのだ。とすれば、このお方こそ、イスラエルを救われるという希望が失せた今は、耐えられないほどの悲しみ、痛み、絶望的状況ではないか? 毎週のように使徒信条を告白する私たち、復活の前に、”死して、葬られ”という暗闇があることをしっかり記憶しておきたい。復活ということがなければ、死は人類の克服できない強敵であるのだ。しかし、幸いなことに、この暗闇、この絶望から、3日ののちにわたしたちは、復活の主イエスを見ることになる。
