2026年2月15日 ルカ福音書10章25-37節 隣人になる

良きサマリア人の譬え(たとえ)、で知られてる有名なお話し。旅先で強盗に遭い、身ぐるみ剥がされ半死に半生で倒れていた男をサマリア人が助けたという。通りかかった祭司、レビ人(本来ならば、一番困ってる人を助けるべき人)たちが、見て見ぬ振りして通り過ぎる。サマリア人とは、ユダヤ人と敵対関係にあり、ユダヤ人からは蔑視され、日頃ひどい扱いを受けていた。であるのに、そのサマリア人が、身の危険も顧みず、金銭のみならず、傷ついた男の手当、介護までしてやったのだ。この譬え(もしか実話でさえありうるが)は、律法の専門家がイエスに問うた永遠のいのちに関する問答から引き出された。主イエスは、隣人を愛する、ということに関連して良きサマリア人の行為を紹介した。隣人とは誰のことですか、と嘯く(うそぶく)律法学者に、隣人になりなさい、と答えられた。律法学者は、しかし良い行いをした者は誰か、というイエスの問いに、サマリア人です!と答えない。親切な行いをした人です、と答える。 情けない回答だ。偏見がこびりついていると、サマリア人です、と率直に言えない。
 先週の学びで登場した、72人の弟子たちは、未熟で、取るに足りない者たちであったが、イエスの派遣に応えて驚くべき成果を上げて帰ってきた。天の父は、幼子のような率直な信仰を喜ばれる。その対比としてルカが記録することになった良きサマリア人の譬え、頭で宗教をわかったつもりで、実は幼子よりも頑迷な宗教家、私たちもその信仰の素直さが問われている。